- home
- 人間の本音コラム一覧
- わたしが人間研究家である理由
わたしが人間研究家である理由
人間研究家という名前を名乗り始めて2年弱が経とうとしている。
その言葉が降りてきたのは、
自分が今後の人生で何をしていきたいか
どう生きていきたいか
考えていた時期だった。
新卒で入った会社で勤め続け
2025年4月には17年目の春を迎える。
飽き性と名乗る人には、「えっすご」と言われる。
なんなら相手はちょっと引き気味である。
いや、引き気味と感じとったのはあくまで私の捉え方で
自分自身に「本当にそれで(そこに居続けて)いいの?長すぎない?」と
問いかけた回数は数知れないからだと思う。
自分に質問するたびに、ここでやりたいことがある、やり残したことがある
という結論にたどり着き、結果継続してきたという背景があるので
継続することに意味がある!という気持ちは毛頭なかった。
今もない。
ただ、どうにもこうにも、もうなんだかそろそろだよ
という心の声が鳴り止まない。
何か訴えようとしている衝動のようなものが自分の中に充満した。
それが2年前だった。
最初は、じゃ転職かな?と安易に思ったりもして
別の会社に面談を申し込んだ。
でも、それもなんだか違った。
それって、結局誰かのビジョンに乗っかることなんだよなぁ
ふわふわとした、だけど明確な言葉が頭をよぎる。
自分が同じ組織にい続けたことによって、得られたことはたくさんあったし
好きは好きなんだろうけど、
一番「そろそろ」と思わせたのは
誰かが引っ張ってくれること・強く打ち出してくれるビジョンに
迎合するのはそろそろという感触だった。
会社が掲げるビジョンに「共感」しているから
い続けているつもりだったが
いつの間にか、いや生き方がずっとそうだったからなんだろうけど
ビジョンの「フォロワー」になって
そこに取り込まれるようになっていた。
やりがい搾取などという言葉もあるが
まさに自分からそうなりに行っていた。
優等生的考えである。
いやはや恐ろしいぜ日本教育。と教育のせいにしてみる。
本当はそうなりたくなかったから、
何が起こるかわからないドキドキハラハラのベンチャー企業を
選んだんだろうけどね。(入社した時にはベンチャー企業でした)
振り返ると、恐ろしいスピードで
自分がやりたいこと < 周囲に認められること
に自分の優先順位がすり替わり
常に自分の振る舞いの「正解」を探すようになってたなと思う。
自分が何が好きで
何がしたくて
何を人生の楽しさと感じているか
すべてモヤの中に隠れたような感覚が
年々強くなっていった。
職場で笑うことは、幸いにもたくさんあったけど
いつの間にか覚えた
(周囲に認められるための)(周囲を楽しませるための)
という言葉が枕詞につく笑顔をし続けた結果
自分の顔が引きつるのがわかるようにもなった。
でもどうしたらいいのかわからない。
本当は?本当はどうしたいのか?
そんなこと言われたってわからない。
なのに心は叫び続ける。
気持ち悪い感覚は続くし焦燥感はとまらない。
でもなんとかしなくちゃ!
気づいたら、独立して仕事をすることを叶えたくなっていた。
そうだ、転職したって、悲しいかな結局誰かのビジョンに喜んで吸われていく性分。
それなら不安だって、自分を主張する方向でやってみたほうがいい。
人生一度きりっていうじゃん。事実そうじゃん。
独立ぅ?突拍子もないことで自分を目眩まししようと思ってるだけなんじゃーん?
悪い癖で、社会的体裁を保とうとする"斜に構え"ワタシが言ってくる。
けどこの際、理屈なんか無視だ。
自分の衝動は何かを訴えていると信じよう。
そうこうして、
自分は何をする人なん?って問いかけ続けたり、
こういう決意ともならないフワフワした話を人に聴いてもらっていた中で出てきたのが、
人間研究家という名前だった。
人間て
愚かで、小さくて、ピュアで、
それなのに
したたかで、ずる賢くて、社会的であろうとする
たくさんの人の相談に乗る仕事をしてきた。
飽きずに続けてこれたのは
その人達からにじみ出る「人間味」の面白さであり、
その人たちの心に触れるたびにくっきりする
「私の輪郭」をもっと知りたかったからだった。
ずっと人間の心を探求している。
ずっと人間の本音を探求している。
そうやって自分というものを知り続けている。
人間研究家と名乗ると、興味を持ってもらえることは多いが
実際何、と説明しようとすると私自身が口ごもってしまっていた。
少しずつだが形になってきたので、
現時点での、という但し書きがつくけれど、書いておきたい。
①何のために(Why)
私が大事にしたいこと、価値観にあたる部分だ。
私が人生で大事だと価値を感じているもの、
そして人にも届けたいものとして、
正直さ
がある。
特に、自分の気持ちよりも、周囲の期待や
社会の流れを満たそうすることを
優先してきて
でも自分の中に芽生えた違和感に耐えられなくなって
という葛藤の末に出てくる正直さは
とても尊いと感じている。
大人になればなるほど、葛藤にもまれて
みんな生きているんじゃないかなぁ。
葛藤の末に自分の正直な気持ちに気づいて
自分らしく生きられる人が一人でも増えるように
私はそういう世界を目指している。
②何を(What)・どうやって(How)
じゃあそれを叶えるために何をどうしていくのか?
私ができることってなんだろう。
私が得意としていることは
こうやって文章を書くことである。
他にも、人の話をきくことは得意としているが
もう少し踏み込んで考えると
その人の魅力や強みを発見して、その人をモチベートする
ということが得意な方なんだと思う。
これは重ねてきた経験を振り返るとそうしていると気付いた。
段落タイトルの順序と逆になるが、上記はHowの部分である。
Whatとしては、興味があること・好きなこと(分野)がくるわけだが
ここがまさしく「人間!」と手放しに、
かつ力強く言ってしまいそうになる自分がいる。
落ち着け自分。もう少しわかりやすくするんだ。
そう、人間!なんだけど、もっと分解するなら
やっぱり人間の心(心理)だし、さらにいうなら人間の本音が
当てはまるんだ。
他にも、「好き」「興味」でいうなら
音楽・性愛・・他、あげるときりがない趣味たちがたくさん。
でも上位にくるのは↑こんなかんじで
音楽は、体全体で感じる感覚的な好きもあるけれど
人が本音でぶつかるような、主張するような音楽が
何よりも好きだから、結局「人の本音」に行き着く。
性愛も同じで、ただ単に人とのふれあいが好きなのは当然だけど、
その時に見えてくる誤魔化しのきかない人間味がなんとも好き。
それも結局「人の本音」。と私は考えている。
まとめると
人の本音にまつわることを
文章に書いたり、相談にのったりして
葛藤の末に自分の本音に気づき、自分らしく生きる人たちを
(自分含め)増やしたい、応援したい。
そういうことがしたい私です。